<プロフィール>
出身校:山形市立明治小学校、山形市立第七中学校、
山形県立工業高等学校(柔道部)
家族:妻と二人暮らし
特技:ベンガル語
最近やったこと: 「やまのべ星ふるロード・マラソン大会」 参加
将来やりたいこと:キリマンジャロ登山
1983年8月、バングラデシュの首都ダッカに到着。空港から町に向かう車の中から見えたのは道路脇の水の中で水牛の背中に乗って遊んでいる子供たちの姿でした。まるでおとぎ話の世界にでもやってきたような感じがしたことを覚えています。
私は山形市内の自動車販売会社に勤務し整備の仕事をしていましたが、24才の時に青年海外協力隊に応募、派遣された国がバングラデシュ。イスラムの社会、貧富の格差、少数民族問題など日本では意識したことすらなかったもう一つの社会の一面に接し、人々の多様なくらしのあり方を知りました。
3年間のバングラデシュでの活動を終え日本に帰国。縁あって損害保険会社の特別研修生として仕事を始めたのが1986年10月。保険についての知識はほとんどありませんでしたが、将来は独立してできる仕事であるということで選択しました。しばらくして友人に「保険代理店をしている」と言った時に大きな声で笑われたのはショックでした。保険の仕事とはこう見られるのかと知らされました。今、多くのお客様や多くの保険代理店と接しながら、どう見られるかはこちらの姿勢の問題であると気づきました。
バングラデシュから帰国して以来、ぼんやり考えていたことは「日本と開発途上国の共通性は何んだろう?」というもの。10年ほど経ったとき、『市民・政府・NGO』(ジョン・フリードマン著)という本に書かれていた「貧困とは力の剥奪である」ということばにハッとしました。日本と開発途上国の問題がスッキリつながった気がしました。改めて私たちの周りの「貧困」について考えさせられました。
自動車事故で加害者になってしまった人はとても不安な状態になるものです。心が不安定になることも一つの「貧困」といえるのではないかと考えます。保険は事故による経済的な負担を補うだけでなく、その人の心の不安を解消することも大きな役割です。お客様から事故の連絡が入ったときは、できるだけ現場に行くことを心がけています。それがお客様の不安を少なくする助けになり、同時にそれが私たちの保険マンとしての心を磨いてくれることにもなると思っています。
あるご年配のお客様が「今はこれが頼りなんです」と見せてくれたのは生命保険の証券でした。若い頃に何気なく契約した保険が体が思い通りにならなくなった今、頼りになるというのです。「将来の自分を支えるのは今の自分」なのだと知りました。
保険とは「貧困にならず人を恨まず日常の平和な生活を継続する助けになるもの」であると考えます。思いがけない災難がおとずれたときでも、お客様の「平和な日常」が守られるよう思いをめぐらすことが保険の仕事であると考えます。私たちはお客様の「平和な日常」について真剣に考え行動するプロ集団でありたいと思っています。